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東京家庭裁判所 昭和43年(家)12599号 審判

申立人 滝口美江(仮名)

主文

申立人の氏「滝口」を「越川」に変更することを許可する。

理由

一、申立人は、主文と同旨の審判を求め、その事由として述べるところの要旨は、

(一)  申立人は昭和一六年一二月一九日申立外越川伝七と婚姻し、同人との間に二子を儲けたが、昭和四三年一〇月四日同人と調停離婚し、婚姻前の氏「滝口」に復した、

(二)  しかし申立人は、婚姻以来右越川伝七を助けて、同人が「コシカワ」という屋号で営む家業である米菓子製造販売業(その後昭和二五、六年頃パン製造販売業に転業、営業形態も株式会社コシカワとなる更に昭和三四年頃から、洋菓子の製造販売業に転業)に従事し、とくに終戦後は右越川伝七が競馬競輪に耽つて家業を顧みなくなつたので、事実上、申立人が営業を取りしきるようになり、右越川伝七とともに株式会社コシカワの代表取締役をしていたのであり、調停離婚後も、右越川伝七より財産分与として従前の店舗兼居宅の所有権および前記洋菓子製造販売の営業権を取得し、右店舗居宅において「コシカワ」の商号で個人営業として、従前どおり洋菓子の製造販売業を営んでいる。

(三)  かような訳で、申立人が復氏後の「滝口」の氏のままでいることは、営業上信用上重大な支障を来し、社会生活上極めて不便不利であるので、その氏を「越川」に変更することの許可を求めるというにある。

二、本件記録添付の各戸籍謄本、東京家庭裁判所昭和四二年(家イ)第五三五八号夫婦関係調整事件の調停調書の写し、および申立人に対する審問の結果によれば、次の事実が認められる。

(一)  申立人は昭和一六年一二月一九日本籍東京都荒川区荒川五丁目一八番地(当時三河島六丁目七八番地の三)の申立外越川伝七と婚姻し、同人との間に昭和一七年四月七日長女美子を、昭和一九年六月二〇日長男和夫をそれぞれ儲けたこと。

(二)  申立人と婚姻当時、右越川伝七は、その両親とともに、「コシカワ」の商号であられ等の米菓子製造販売業を営み、申立人も以来夫を助けて右の家業に従業したのであるが、右越川伝七は、昭和二五、六年頃米菓子製造販売業からパン製造販売業に転じ、その際営業形態を従前の個人営業から商号を「コシカワ」とする株式会社組織に変更し、同人がその代表取締役となつたこと。

(三)  右越川伝七は、終戦後競馬競輪等の賭事に耽り、次第に家業を顧みなくなり、昭和三四年、従前のパン製造販売業から洋菓子製造販売業に転業する頃からは、営業はほとんど申立人において切り廻わさざるをえなくなり、申立人は従業員や取引先の関係を考慮し、右越川伝七とともに株式会社コシカワの代表取締役となつたこと。

(四)  右の如く、越川伝七は全く家業を顧みなくなつたのにも拘らず、申立人の努力により、その後営業の方は順調な発展を遂げ、申立人は、昭和三六年六月頃、越川伝七名義のそれまでの戦災後の建築にかかるバラック建店舗兼住宅を改築して、木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建店舗兼住宅(一階三九坪六合一勺、二階一三坪二合八勺)となし、更に、その後右家屋の二階を三九坪六合一勺に増築したこと。

(五)  また、申立人は、昭和四一年初め頃、右家屋の隣地に株式会社コシカワ名義で三階建のビルディング(一階一〇六・二五平方米、二階および三階各一〇七・三六平方米)を建築し、前記株式会社の事業目的に右ビルデイングによる貸室業を加えたこと。

(六)  しかしながら、右越川伝七は一向にその行状を改め、申立人とともに営業に従業するようにならないのみならず、昭和三九年頃からは、申立人との同棲を嫌い、別居するようになり、申立人はやむなく、別居以後同人に対し毎月一五万円以上の生活費を支給していたところ、同人は昭和四二年一〇月頃東京家庭裁判所に対し申立人との離婚を求める調停を申し立てるに至つたこと。

(七)  申立人は、右調停において、一旦は右越川伝七が家庭に戻り、家業に従事することを求めたものの、同人はこれを承知しないので、やむなく、同人の申し入れに応ずることとなつたが申立人としては、多年前記営業を維持経営してきたので、離婚条件としてこの営業を継続して経営することを望んだところ、同人もこれに異議なく、ただ株式会社コシカワは、同会社所有名義のビルディングによる貸室業をも営んでいるので、同人は右株式会社コシカワの事業目的を変更し、専ら貸室業のみとし、その代表取締役として、その営業に当り、申立人においては、右会社の経営より手を引き、従前の店舗兼住宅において別の営業形態により、引続き洋菓子製造販売を行なうことを希望したので、申立人もこれを容れ、昭和四三年一〇月四日、申立人は同人と調停離婚し、同人から財産分与として同人名義の店舗兼住宅の所有権等を取得する等の調停が成立したこと。

(八)  申立人は、右越川伝七と離婚した結果、婚姻前の氏「滝口」に復氏し、昭和四三年一〇月二七日千葉県長生郡○○村○○△△番地筆頭者滝口永俊の戸籍に復籍したのであるが、同年一二月三一日右と同番地に分籍したこと。

(九)  申立人は離婚後も、財産分与によつて取得した前記店舗兼住宅に居住し、同所において「コシカワ」の商号で個人営業として従前どおり従業員一八名を雇用して洋菓子の製造販売を営んでおり、営業上の取引関係、預金関係、納税電話加入等すべての営業面において「コシカワ代表者越川美江」または「越川美江」という呼称を使用していること。

(10) 右越川伝七も、申立人が離婚後越川の氏を使用し、前記店舗兼住宅において「コシカワ」の商号で、従前の営業を継続することを承認していること。

三、以上認定の事実によれば、申立人は、昭和一六年一二月一九日越川伝七と婚姻以来、同人の営業を助け、越川姓で社会生活を続けて来たのであり、また昭和三四年頃からは、全く実質上の営業主として越川美江名義で営業を継続し、あらゆる面で越川美江の呼称によつて来たもので、その越川の呼称は永年にわたる社会生活および経済的活動に伴つて広く深く滲透しているものと認められ、申立人に対し、正式には越川の氏の使用を許さず、離婚後復氏した滝口の氏をこのまま使用するのを強いることは、申立人に社会生活および経済的活動の面で甚だしい不便不利益を与えることになることは明らかであり、このことと、前記離婚の責任が、全く越川伝七にあつたものと認められることおよび同人が、前記認定の如く、離婚後に申立人が「越川」の氏を使用することを承認していることを併せ考えれば、本件においては、氏を変更するに足る「やむを得ない事由」があると認めるのが相当である。

よつて申立人の氏「滝口」を「越川」に変更することを許可することとし、主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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